九州建設120年の歩み

九州建設120年の歩み

1890年代
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創業

1884年10月1日、福岡市東湊町2番地(現在、中央区大手門3丁目)に於いて、辻󠄀松之助(当時22歳)が土木建築請負業辻󠄀組を開業した。

辻󠄀 松之助

1907年、福岡市初の建築請負組合(福岡県建設業協会の前身)が設立。理事、副組合長を歴任した。その発起人の一人として「福岡県建設業協会沿革史」に掲載されている。

1920年代
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関東大震災

1923年9月1日、関東地方を大震災が襲った。死者・行方不明者合わせて10万5千人に上る未曽有の大惨事であった。

ミッションスクール・九州女学院の新築工事をきっかけに、設計者である建築家ジョシュア・Hヴォーゲル氏とYWCA総幹事エマ・カフマン女史の熱心な勧めにより辻󠄀長次郎を中心に東京YWCA会館の再建に努める。その際、カフマン女史は、東京での仕事に慣れておくようにと、上京を勧め、そのために小規模な建物を2,3発注してくれた。その上、アメリカの建築工事の実情を直接見学してくるようにと、渡米の費用一切の提供まで申し出てくれた。

1930年代
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1931年10月 大濠132番地に事務所を移転する。

1933年10月 個人企業に終止符を打ち、新たに合資会社辻󠄀組とする。

代表社員 辻󠄀長次郎 就任

1940年代
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1945年6月19日 福岡大空襲

大濠の辻󠄀組の事務所と辻󠄀家住居を瞬く間に呑み込み、事務所を焼失した。
人口密集地域の家屋の解体に従事する。

占領軍関係の大きな仕事を主に受注した。

出征していた社員が次々復員。翌年、因幡町(現在天神2丁目)に社屋を建設。 第2次世界大戦の戦禍で、日本国内のキリスト教界も壊滅的な打撃を受け、福岡女学院の本館及び体育館工事を皮切りにキリスト教関係の工事を多く請け負った。

1949年3月 辻󠄀組建設株式会社 株式会社に組織変更。

1949年6月 株式会社辻󠄀組に改称。

1960年代
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1964年10月 東京オリンピック

建設業界に技術と経営の両面にわたって近代化の成果を大きくもたらし、高度経済成長のターニングポイントとなった。

70周年を記念して社章を制定。現在の博多駅南1丁目に新社屋を建設し、移転。

1967年4月 辻󠄀長次郎 勳四等瑞宝章

1970年代
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オイルショック

1979年 本社にコンピュータを導入

1972年1月 辻󠄀 長英代表取締役社長就任

売上工事高100億円突破

社員数 100名

1990年代
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1995年11月 辻󠄀 長英 藍綬褒章受章

95周年を記念して九州建設株式会社に改称。旧社屋を解体して新社屋(九州ビルディング)を建設。
100周年を記念してCI導入・シンボルマーク制定

1997年1月辻󠄀 長光代表取締役社長就任

2000年代
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2003年4月 辻󠄀 長英 勲四等旭日小綬章

2005年10月 九州建設と白熊園

当時、公的施設に入居するためには数年待たなければならなかった。先代長次郎が、戦後の食糧難を乗り切るために農園を開拓した土地で、その後の日本経済の進展に伴いゴルフセンターとして利用していた土地を、介護施設として社会貢献する為、開業した。
九州建設㈱が100周年を迎え、日本原産で一番強い「熊」と安全の為のブルー色で「青い熊」がイメージキャラクターとして選定されたのに対し、「強い熊」と老人の「白髪」のイメージを重ね「白熊園」となった。

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2008年9月 リーマンショック

福岡銀行戸畑一技寮新築工事(北九州市都市景観賞受賞)

2012年7月 得丸 正英代表取締役社長就任

2014年 120周年記念ロゴ導入

2016熊本地震

震度7を観測する地震が4月14日夜及び4月16日未明に発生した。熊本の社員及び協力会社も被災したが、他県の協力会社の多大なる応援もあり、従来顧客を中心に復旧に従事した。

20174

徳倉建設グループ傘下に入る。

徳倉建設株式会社